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コメント欄

年末には孫のまさとくんが無事誕生し、新しい年を迎えブログを再開することができましたが、コメント欄はまだ受け付けない設定のままでの更新しかできずにいます。

2年余りブログを続けてこれたのは、更新のたびあたたかくて楽しいコメントをくださるおかげでした。いただいたコメントに返信することで、記事のいたらないところの穴埋めもさせていただくことができました。
ブログのコメント欄は、私にとっての一番で宝ものでした。

でも、春には息子家族に私にとって4人目の孫が生まれます。その時には10日間ほどゆうきちゃんみずきちゃんを預かることになっています。だからすぐまたコメントをいただいてもお返事する余裕がなくなります。
しばらくはこのままで更新していこうと思っています。

自分で決めたのにコメントが届かないのはさみしくて、少し前まであんなに楽しかったのにって思うことがあります。でも、今の状態の居心地のいいのも事実です。
これまでは家に帰るなりパソコンを開け座り込む毎日で、新聞を読んだりテレビを見たり本を読んだりは後回しでした。お父さんが帰ってきて隣で大きな声でテレビを見たり、話しかけてくるのが鬱陶しいと感じるありさまでした。

chiyomiさんは段取りが悪いことを棚に上げて相変わらず 「忙しい忙しい」 とばかり書いてるって、笑いながらまた読んでいただけたら嬉しいなって思います。

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三連休

 三連休一日目(土曜日)
朝から雪が降り続いていました。恒例の息子一家がやってくる食事会は、息子からの「雪が降るさかい行かへん」と言う電話で今日はお休み。
朝から出かけていたお父さんと二人、食べきれないほどに作ってしまったおでんを食べることになりました。こんな静かでのんびりとした土曜日もいいものだって思いながら・・・
でもお父さんの思いは孫のゆうきちゃんで、電話をしたりメールをしたり。返事がないので今度は「まさとくんは元気ですか?」のメールを打ち始めました。
息子がゆうきちゃんを連れてくるっと言ってきた時は大喜びでした。
ゆうきちゃん、みずきちゃん二人を連れてきた息子が帰ってしまうと、さあにぎやかな夜の始まりです。みずきちゃんはお母さんと初めての別々の夜です。

 三連休二日目(日曜日)
夜中一度だけみずきちゃんは泣き出しました。
お父さんは「おじいちゃんやで」と言ってあやしだしましたが泣きやむはずもなく、あわてて抱きとりお布団に寝かせ背中をとんとん叩いてごまかしました。お父さんは「なんか声をかけてやりいな」と言いますが、ここでみずきちゃんを本当に目覚めさせるともっとえらいことになります。
二人は機嫌よく目覚めました。
雪が積もっていて雪遊びもして、靴がぼとぼとになり…
お昼も過ぎて息子達が迎えに来て。ゆうきちゃんは居間のドアが開かないように抵抗します。息子達には申し訳ないのですが、そんな様子がなんともいじらしくてゆうきちゃん贔屓になってしまいます。

みんなが帰ると、さっそくお父さんはいつもの所に出かけました。
そしてchiyomiさんはあたり一面散らかった部屋の中をかたずけ、出かける用意を始めました。
実家は今年弥勒堂のお講の当番が当たっていて、その手伝いを頼まれていました。朝早く出るのは道路が凍てていて心配なので前の日のうちに出かけることにしていたのです。

 三連休三日目(月曜日)
朝6時に起きると弟はすでに出かけていました。大慌てでしたくして公民館に着いたのが6時20分。もうお供えのお餅ができかけていました。
田舎の人は朝が早いです。当番は2軒で当たりますが、来年の当番の方2軒が手伝いに来てくださいます。当番は1軒に二人出ますが、手伝いは一人出ることになっています。
ところが今年は手伝いの方も来年の事が心配だからと二人で来られていて、去年は8時に行ったと聞いていたのにすでに来られていました。もうどないしょうと思いました。化粧をしていなかっただけでも良かったと思いました。

実家を離れたのが20才の時、もう40年近くになります。手伝いをすると言ってもなにもわかりません。ただ洗い物ばかりをして過ごしていた気がします。
公民館で晩御飯のお弁当を食べ終わったのが夕方の6時。
我が家に着いたのは7時過ぎでした。お父さんはまだ帰っていなかったことにホッとし、大慌てでお父さんの晩御飯の用意を始めました。

三連休は疲れました。

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仕事は休んでも・・・

今日は仕事に行く日でした。

昨日はお父さんが思いがけなく帰ってきていたので見送ると、お風呂の掃除、洗濯、朝ごはんのかたずけ、ごみ出し…さっさと済まし、さあ後は出かける用意だけ。
でも行きたくありません。
5分、10分…確実に時間は過ぎていくのに出かける用意ができません。
急いでももう間に合わないと思った時「体調が悪いのでお休みさせてください」って電話をすると、ホッとしてほかほかカーペットの上で横になるとそのまま寝てしまっていた。

気がつくともう午後の1時。
一瞬時計の針を見間違えたかと思いましたが…やはり1時でした。
おひさんが射していて、ああせめてお布団を干したかった。こんなことを即座に思う自分が情けなくなります。
ふと湧いてきた娘の所に行ってまさとくんに会いたい気持ち、城山三郎氏の「そうか、もう君はいないのか」を読みたい気持ちを封印し、近所の友達に電話しました。先日お世話になったお礼を十分にしていなかったのでせめてお昼ごはんを一緒にと思ったのです。「おうどんを食べただけだから行くよ」と言う返事にさっそく迎えに行きました。

誰かにごめんと言えば今日のようにスポット自分の一日が手に入る。でも後ろめたい気持ちを完全には拭えない。
今日仕事から帰ったら炊くつもりで、朝つけておいた黒豆が炊けるにおいが漂っています。
昨日お父さんは洗濯物を持って帰っていたから、この後テレビを見ながらアイロンあてもしよう。どこまでもつじつま合わせをしたい自分がいます。

 

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おめでとう

今日2月1日 お父さんの勤める会社は創立記念日で、その式典でお父さんは「40年勤続表彰」を受けます。

高校を卒業した昭和43年の春、18歳。3月の入社でした。
当時は景気がよくて入社したての会社はお盆までほとんど休みがなく、毎月のお給料を使う暇もなくみんなお母さんの所に送って貯金してもらってたって・・・若くて遊びたい時に仕事ばかりだった“遊びを知らない”それだけが後悔だってよく話してた。

10年ごとの表彰のたび、記念写真が残っているはず・・・さがしてみました。
30年前の写真のお父さんは28歳。でもこの頃もう結婚し二人の子供のお父さんだった。とっても若くてハンサムで別人のように写っています。
38歳の写真は少し貫禄が出てきています。
でも、48歳の写真が・・・みあたらない・・・おとうさんごめん。ゼネコン業界は厳しい時代になったけど、この頃からお父さんの仕事人生の中で一番幸せな頑張る時代が始まるんやね。そして辛い時も。いろいろあったね。

数日前NHKでサウジの石油化学コンビナート建設現場を指揮する高橋所長さんの様子が放送され、食い入るように見てしまいました。規模は小さいけど、工事現場を任されるたびあの手この手と必ず次の受注につながる工事を完成させたお父さんを、負けてないって誇りに思います。

40年を目指して働いてきたと言うお父さん、いよいよ今日やね。おめでとう。

スーツの準備もちゃんとできたけど、chiyomiさんほんとは作業服姿が一番好きなんや。

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