« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »

P1020212 私が生まれ、大きくなった家です。今も黒く光る大黒柱があります。
祖父のお兄さんが大工で、この家を建てました。この写真を写す私の後ろに道路に面したもう一つ部屋があり、当時タバコ屋さんとおとふ屋さん、時にはお饅頭を作って売ったりもしていたそうです。
家を建てたお兄さんは若くで亡くなり、祖父はお兄さんのお嫁さんと結婚しました。小さな男の子がありました。そして父を含む4人の子供が生まれました。
しかし、祖母・まだ幼かった叔母と結核で亡くなりお商売はやめることになり、叔父は戦死。家を継ぎ、大工になった父もまた私が生まれ弟が生まれたころ結核にかかりました。長い入退院の繰り返しで、父は片肺。残ったもう一つの肺も一部切除されましたが、マイシンのおかげで生きることができました。ただ当時結核は嫌われた病気のうえ、健康保険制度もなく生活はとことん苦しく、母は私にしか当たる所がなかったのかとふと思います。
母に怒られると、祖父の所に逃げていました。手前の部屋が祖父の部屋でした。
父は退院後家を建てる大工は無理で、当時から篠山に工場があった芦森工業で織機大工の職に就き、79歳で亡くなるまで父も生まれたこの家を繕り繕りしてきました。

父が亡くなって20年近くなりますが、ほとんど建具に隙間がありません。

もうすぐ取り壊される家を、せめてブログに残そうと今日写真をとりました。
100年以上生きてきた家です。
年末に母の部屋とこの部屋の障子を張り替えておいてよかったと今思います。
母をこの家から送りたかった。若い頃は、ただだだっ広いだけの家は好きでなかった。実家に通ううち、年をとったら畑仕事をしながら縁側でボ~っとしたい・・そんな夢をいつの間にか見てしまったchiyomiさんです。

|

デーサービス

ちょっと前からデーサービスに通い始めた義母は、その様子を楽しげに聞かせてくれます。サービスを受けることに「留守番をする者がいなければ」とか「草の一本も引いている方がいい」とか、なにかと抵抗する実家の母も「同居のお嫁さんのためにも、是非デーサービスに行ってみてください」とケアマネージャーさんに勧められ、先週からデビューしました。

初日「腰が痛い」「頭がふらふらする」と行きたがらない母を、なんとか送り出しました。
夕方戻ってきた母に「楽しかった?」と聞くと、どこに行っていたのか何をしたのか全く覚えていません。
二日目、ほとんどベットで休んでいたそうです。
今日は三日目。連絡帳にスープを完食したと書かれていました。
お風呂に入れていただいたのは初日だけ。せっかくのお昼ご飯はほとんど食べず。どこに行ったのかも分からないままのデーサービス。

今日も雨が降らないので、ポンプを持ち出し黒豆に水をやっている私のそばに来た母は「蚊に刺されるから、もう家に入り」と言っても、黙々と草引きを始めました。
母が体調を崩してから、実家の畑も庭も雑草が目立っています。母にとって、本当はデーサービスに行っている場合じゃないのかもしれません。

母の気持ちがわからいではありません。でも、義母のようにかわいらしく生きることができたらよかったねと思います。

|

じゃがいも

P1020201今年のお彼岸、chiyomiさんはメークインをやめ“きたあかり”と“北海こがね”の種芋を植え付けました。最初は順調でしたが、そろそろ葉が枯れていき試し掘りの頃になってもお芋が大きくなりません。

中学校の頃だったか、ジャガイモは葉の光合成によって栄養分が根に蓄えられお芋が大きくなると教わったのを思い出し、なかなか照ってくれないお日さんを恨めしく思いながら収穫時期をずらしました。葉はほとんど枯れてしまいました。

待ったかいがありました。
暑い日になりましたが、約束通りみんなでジャガイモ堀ができました。

“きたあかり”はホクホク感がやっぱりおいしい・・chiyomiさんは自画自賛します。
孫たちは「おばあちゃんのジャガイモはおいしいね」と・・まだ聞いていません。(^o^)

|

« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »